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ベール

2010/06/18(金)

 1次リーグ予選に初登場するブラジル対北朝鮮の試合を、とても楽しみにしていてTV生中継を観戦した。関心を呼ぶことが色々とあって、特別な興味を抱いていたからである。

 ひとつには、世界中のマスメディアにおいてさえ、北朝鮮代表の情報が余りにもなさ過ぎてベールに包まれた神秘さを助長していたことがあった。一方、セレソン、ブラジル代表については、世界中で名の知れた選手たちの集団であるにも関わらず、ドゥンガ監督は非公開練習の機会を多く設けていた。ブラジルでは、伝統的に開放的で練習を公開してきた。ドゥンガ監督は、その伝統に逆らうことをしていると多くのジャーナリストから批判の的になっていた。あるジャーナリストは、「ブラジルだけが1次リーグ予選で4つの敵と対戦しなければならない。」と記事にしている程である。北朝鮮、コートジボワール、ポルトガル、そして、4つ目の対戦相手がマスメディアであるとの論旨である。つまり、ドゥンガ監督は、セレソンをベールに包みこもうとしたのではないかと僕は感じていた。

 北朝鮮代表は2回目のワールドカップ出場であるが、前回、出場した1966年のイングランド大会でセンセーショナルなデビューをしたことは周知の通りである。イタリア代表、アズーリは北朝鮮に敗れて、帰国時に屈辱的にトマトを投げつけられたという話は有名である。北朝鮮は、決勝トーナメントでポルトガルに敗退するが、一時は3-0のリードも奪っていたことを後々に知った。1966年大会は、僕の世代では知る由もなかったからである。

後に、白黒の映像を観る機会を得ることはあったが。

 実は、30数年前、東京の国立競技場で北朝鮮のクラブチームの試合を観たことがあった。「ピョンヤン4.25」というチームと「日本選抜」。「ピョンヤン4.25」は、66年のイングランド大会の代表そのものと学生であった僕はマスメディアで情報を得ていた。「日本選抜」は、当時の日本サッカーリーグ選抜そのものであったと記憶している。釜本邦茂氏やネルソン吉村氏が中心の日本代表のような存在であった気がしていたが、何故か、日本代表ではなく「日本選抜」であったと記憶している。当日、国立競技場には、25,000人から30,000人程の観客が訪れていたように記憶している。チケットを購入しようと入場券売り場に並んでいると、見知らぬ在日の人が僕に話しかけてきた。知人が来られなくなったので、チケットを安くするから買ってくれないかということであった。学生の僕としては、安くなるに越したことはないとチケットを手に入れた。大失敗をしでかしてしまった。僕が入手したチケットはメインスタンド中央の見やすい席であったが、周囲は在日の人ばかり。ハングルを聴きながらの観戦となってしまい、僕は日本での完全なアウェイを対戦することになってしまった。「ピョンヤン4.25」は、強かった。試合は、1-0で日本が負けたと記憶している。この「ピョンヤン4.25」が軍隊のチームであったので、現在の「425体育団」であると思われる。

 そのようなことが頭をよぎりながらブラジル対北朝鮮を観始めた時、国歌を聴きながらピッチ上で涙するチョン・テセ選手の姿に、何故だろうと不思議に感じていた。後日、神戸市在住の友人である元北朝鮮代表FW、呉東根(オ・ドングン)氏に、チョン・テセ選手の行動を訊いてみた。呉氏は、「セニョール、チョン・テセは在日であるからして感動の余り、目からではなく心から涙したのですよ。」と、説明してくれた。ワールドカップは、世界中のすべての人々がそれぞれの思いを包み込んでいるものであると感慨に耽ってしまった。

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