昨夜、枚方FCの宮川淑人氏が主宰する「わしらの会」に、初めて参加した。僕は、元々、関東人であるので知らない人々ばかりのパーティーに参加することに違和感は多少あったのだが、話をできる人々の多さに宮川氏のサッカーに熱く接する機会と作り出す雰囲気に気持ち良く触れることができた。参加して正解であり、楽しい時間を過ごせたと思っている。
サッカーが好きで、それぞれの環境や価値観で生活している人たちに接して、心地良い感慨をもたらせられたと思った。
色々な初めて出会う人々と話をしていて、僕は、あることを思い出していた。浦和レッズに所属していた時代、僕は、ポルトガルもかなりの回数で訪れていた。選手の契約のためにスカウティングをしていたのであったが、スポルティング・リスボンにポーランド代表の素晴らしいCFがいた。アンジェイ・ユスコアヴィック。バルセロナ・オリンピックの得点王であった。ポーランドのベッケンバウアーと言われたブオジメジ・ルバンスキーが、ユスコアヴィックの代理人であった。ポルトガルで何度も交渉はしたが、契約には至らずユスコアヴィックを日本に連れて来ることは叶わなかった。理由は、単純であった。ヨーロッパのどの国のクラブでもプレーしていても、代表に召集されれば2時間か3時間で母国に帰れる。ロシアのモスクアが最東端であると、彼らは価値観を固めていた。日本に行けば、半日以上の移動が必要になるというのが彼らの見解であった。僕は、引き続き説得をしたけれど、年俸を三倍にしなければという要求に諦めざるを得なかった。僕はポーランド語が解らないので、ユスコアヴィックとはポルトガル語でルバンスキーとは英語で交渉せざるを得なかった。そして、当時、ユスコアヴィックのプレーをスカウティングするためにタッサ・ポルトガル(ポルトガルのFA Cup、Taça Portugal)の決勝をスタジアムで観戦した。バックスタンドが道路であって4万人収容のスタジアムであったが、満員の盛況であった。僕は、上司とタクシーでスタジアム入りしたが、帰りのタクシーの予約はできなかった。
試合が終わり、リスボンに帰り次の約束の人々と会わなければならない予定があった。すぐさま、タクシーを拾おうとしたが人が多すぎてつかまらない。仕方なく、近くのパールに行ってタクシーを呼んでもらうことにした。バールの店主は、直ぐにタクシーを呼んでくれた。僕らは、ビールを一杯だけ飲むことにしたのだが、何度も店主に尋ねてもタクシーは一向に来なかった。二時間近くも経った頃、僕は店主にタクシーが来ないのであれば他を探すと、ややキツイことばを投げかけた。すると、店主はタクシーをバールの近くで待機させていると返答してきたのであった。ポルトガル語ができる日本人がスポルティング・リスボンの応援に来たものと思い込み、僕とバール内の人々との会話を終わらせたくないと思っていたそうであった。支払を済まそうとすると、店内のお客さん十数人と店主から支払う必要はないと言われた。”あなたは、スポルティングのサポーターと思えるから、料金など払わせないよ”と、言われた。僕はご馳走になって、そして、二時間も待ってくれていたタクシーの運転手にホテルまで送ってもらった。タクシーの運転手さんに待たせて申し訳ないと言ったところ、”サポーターと話していたので、全然、問題ないよと”と、応えてくれた。
サッカーに毒されてしまった人々は、どこでも同じ人種なのだと思った瞬間であった。昨夜の「わしらの会」、集った人々も同じ人種であると思った。
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