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2010年10月

「入場券の価値」

2010/10/26(火)

  定期的に連絡を取り合っているカタールのクラブでコーチをしているアウミールから、インターネット電話が入った。以前から聞いていたが、来月、1117日、20時にドーハのカリーファ・インターナショナル・スタジアム(Khalifa International Stadium)で行われる世界中が注目する国際親善試合、ブラジル代表とアルゼンチン代表のチケットを入手したことを告げるものであった。指定席で、日本円で3,000円ほどのものであった。当日は、奥さんと娘さんを連れて観戦すると嬉しそうに入手した入場券を映像で見せてくれた。当日は、50,000人の大観衆でスタジアムは埋まるはずである。

 ふと、感じたことがあった。ブラジル国内でもセレソンの試合は観ることができるが、国土が広すぎて、しかも、人気があることから、常に、セレソンの試合をスタジアムで直接、観戦する機会が少ないと気が付いたのである。27州で構成されているブラジル連邦共和国、各州に代表の試合を行えるサッカー場はいくつもある。CBF(ブラジル・サッカー連盟)は、その都度、各州のサッカー連盟と提携し試合のスケジュール、運営を決定している。

 ワールドカップを開催する2014年の開催地は概ね決定しているものの、スタジアムが決まっていない開催州もある。日本と異なり、地域とクラブの密接度は極めて強固で深い。どのスタジアムで開催されるのかによっては、サポーターも含めたプライドの争いもある。

 パラナ州で生まれ育ったアウミールは、コリチーバFC(Coritiba FC)でキャリアをスタートし、アトレチコ・パラナエンセ(Atletico Paranaense)の在籍年数が多かった。ドイツ人移民がサッカーを紹介し盛んになった州都、クリチーバ(Curitiba)市は、ドイツ系、イタリア系、スペイン系、ポーランド系などのヨーロッパからの移民が多く、文教都市として落ち着いた風情の都市である。

 パラナエンエ(パラナ州人)からすれば、サンパウロやリオデジャネイロに比べてみると国際試合を観戦する機会は少なかったのではないかと、ふと思ったのである。それが、母国から遠く離れた中東のカタール、ドーハでセレソンの試合を観ることができるのである。しかも、相手は永遠のライバル、アルゼンチン。幼馴染のセレソンのフィジカルコーチ、カルリーニョス・ネーヴェス(Carlinhos Neves)との再会も、より楽しみを増大しているようである。親しいラジオ局所属のジャーナリストも、アウミール宅にホームステイをするという。

 どのようなひとにとっても、特別な試合があると思う。以前、天候不順で観客がひとりというフラメンゴのホームゲームがあったことを思い出した。有料入場者数、1人とクラブは公表した。恥ずかしいことと受け止めるのではなく、感謝の意味を込めて、1人と発表した。そして、クラブは、会長を含めたフロント、監督を含めた選手たち現場の全員で、その観客にシーズンチケットをプレゼントしたとのことであった。試合を観る価値を、多くの人々が知って観戦することでチームは強くなると思いたい。ドーハでの試合は、カタール在住の多くのブラジル人が、セレソンの後押しをすると、僕には思われてならない。

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「Verdy存続」

2010/10/21(木)

 

 僕はサッカーの活動を始めたのが読売サッカークラブであったしヴェルディにも在籍していたこともあって、多くの友人、知人からヴェルディはどうなるのとの質問を受け続けていた。今、僕はヴェルディの人間ではないので、返答に困っていた。親しいジャーナリストたちからも色々な情報を貰っていたが、明確に存続できるという話は聞けていなかった。

 旧知の友人であるJリーグ事務局長の羽生英之氏がヴェルディの社長を兼務することを知った時、僕は大いに期待した。聞きにくいことではあったが、どうなりそうかと話をしたこともあった。何も応えられませんよ。でも、絶対に存続させますよ。と、頼もしい言葉だけは聞くことができていた。今般、ゼビオ株式会社という救世主的な企業が複数年の包括スポンサーを結ぶと報じられて、羽生氏の表現し難いほどの尽力に感動し、感謝もしたいと思った。

 というのも、実は、Verdyという名称に決めた経緯に、僕は大いに関わっていたので存続して欲しいと思わずにはいられなかったからである。

1991101日、株式会社読売日本サッカークラブが設立された。僕は、大手町の読売新聞社で開かれた読売グループのサッカープロ化という歴史的な瞬間を決定付ける会議に出席するという貴重な体験をすることができた。その後、クラブ内では、チーム名称を決める会議が頻繁に開かれた。当時の小川一成社長、谷崎龍平常務取締役プロチーム部部長、栗田晴雄常務取締役広報部長、大久保アマチュアチーム部部長、丸山事業部長とプロチーム部次長である僕とで、思いつきとも言えるアイデアを出し尽くしていた。なかなか決定打は出なかったものの、緑の色を連想させる呼称にするという基本線だけは決まっていた。

 ある日の会議中、突然、小川社長が僕に問いかけてきた。

「佐藤君、ポルトガル語でって、何て言うのかな?

僕は、「ブラジルでの発音で、良いのですよね。Verde(ヴェルジ)です」と返答した。不慣れなポルトガル語を聞いてのことでもあり、一回で発音を聞き取ることは極めて難しい。

そのため、小川社長は「ヴェルディー?」と確認を求めた。

僕は「少し違うのですけれど」と説明しようとした時、咄嗟に閃いた。

「これでいけるのではないか!」

登録商標などの問題については多少なりとも把握していたため、既存の言葉では意味がないと考えていた。僕は全員に説明した。

「ポルトガル語、スペイン語、イタリア語の緑はverde。このスペルは使えません。小川社長の語尾を伸ばした発音を聞いてverdeの最後のアルファベットをeからyに替えて”verdy”としてみたら、これは造語として使えるかもしれません」

結果として、全員一致でチーム名は「Verdy」と決定した。

 ヴェルディが存続可能となって、色々な思い出が走馬灯のように頭の中を駆け巡っている中で、このようなことを思い出していた。現在、羽生社長のもと、僕はニックネームでよく語っていたけつこと川勝良一監督が若い選手たちを上手くまとめて強いヴェルディが復活しつつある。伝統が繋がれることに、感慨深いものがある。

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「僕にとっては、解り易い表現との出逢い」

2010/10/18(月)

 サッカーと何らかの形で係り合いを持っている人たちにとって、生業にしているひともその周りにいるひとも、時に、素晴らしい出逢いをすることがあると思う。僕は、サッカー界で活動してきて外国人を含めて多くの人々と出逢い、多くの感動的な出来事を体験できてきたが、昨今、素晴らしく的確な表現に出会ったことを伝えたいと思った。

 クリスチアーノ・ロナウドは、レアル・マドリッドやポルトガル代表で素晴らしいパフォーマンスを見せていて、一時のスランプは脱出し輝きを戻したようだ。アレシャンドリ・パトはマーノ・メネーゼス代表監督に応え、代表で3試合連続ゴール、ACミランでもゴールを量産している。それでも、より世界中の注目を集めている選手はメッシであると思う。

 1978年のことであると記憶しているが、第一回日本クラブユース選手権が長野県の大町で開催された。参加したクラブは、枚方FC、神戸FCと読売サッカークラブの三クラブ。今では、大きな大会となっている全日本クラブユース大会も、初期の頃は参加できるクラブは少なかった。というよりも、三つしかなかったのである。この記念すべき第一回大会、僕はチームスタッフとして名前をプログラムに載せてはもらっていたが、トップチームの仕事優先で現地には行っていない。

 第二回、よみうりランドでクラブユース大会は開催された。戸塚哲也、都並敏史など後の代表選手となる逸材を読売クラブはかかえていたが、枚方FCには佐々木博和というサッカーの神様、ペレが称賛する天才選手がいた。独特なドリブルで、誰からもボールを奪われないほどのテクニックを披露していた。日本リーグ時代は松下電器でプレーし、日本代表でも活躍した。Jリーグになって、彼は僕が所属していたヴェルディでもプレーした。メッシよりも小柄な彼は、観ている人を唖然とさせるドリブルで魅了していた。

 現在、枚方FCの代表をしている人物に宮川淑人氏がいる。前述のクラブユース第一回大会に枚方FCの選手として出場していたが、昨今まで親交は深くなかった。今は、とりわけ、親交は深いが。その宮川氏から、枚方FCのことを始め色々と関西サッカーのことを聞く機会が増えている。

 僕は、ブラジルでとても不思議な体験をしたことがある。あるクラブの幹部に、DVDを見せられた。DVDの中の選手の中に9才か10才、少女のようにしか思えない少年がいた。身長が10cm20cmも高い年上の選手たちを、軽々しくドリブルで抜き去り、ゴールを決めていく。メッシの少年時代を彷彿とさせるように、僕には感じた。世界中のビッグクラブは、この年代から選手のスカウティングを行っている。事実は知っていたが、DVDの中の少年のパフォーマンスは筆舌に尽くし難いほどの素晴らしいものであった。そして、そのような少年がたくさんいることも知るべきで、スカウティングはその年代で見極めることも必要であると思った。

 佐々木博和を育てたひとは、枚方FCの創設者、近江達先生であることは知っていた。その近江達先生がメッシのプレーを簡潔に表現した言葉に、深く共鳴を覚えた。子供が、そのまま大人になったようだ。 含蓄ある深い言葉である。

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「情報」

2010/10/15(金)

 

 結構、気になっていたことではあるが、なかなか知りえないことと思っていたことがある。先日の日韓戦後、友人のアウミールとの会話のことは書いたが。海外で当事者国とは関係ない代表チームの情報はどのようなものかと、久し振りに興味を持ったので中東ではどうなのかとアウミールに聞いてみた。

 通常は、アル・ジャジーラTV局は、カタールのスターリーグ、一部リーグの試合をほぼ生放送しているそうだ。原則的には、12チームで構成されるリーグの6試合を三日間に分割し、一日に2試合を実施、キックオフ時間もずらしてすべてが生放送されるとのこと。そして、Jリーグについては、10分ほどのダイジェスト版としてスペシャルプログラムがレギュラーとして放送されてはいるとのこと。ヨーロッパや南米の情報は、極めて少ない状況であることを聞いた。

 そのような環境にあるので、日韓戦は録画も含めて観ることはできなかったという。マリノスでセバスチャン・ラザローニ監督(現在、カタールのクラブで監督)と10年程前に活動していたこともあり、ヴィッセルでの一昨年での活動もあったので、日本サッカーに対する思いは相変わらず深い。

 日韓戦が行われた12日、時差の違いもあり日本時間での未明、カタール代表とイラク代表の国際親善試合がドーハで行われた。結果は、ホームのカタールが12で敗戦した。翌日、連絡を受けて、観ることのできないこの試合内容を訊いてみた。カタール代表は帰化した選手を多用したが、イラク人だけで構成された相手には勝てる気がしなかった"との、返答を聞いた。

 彼のチームにもアフリカからの帰化選手でCBとサイドバックが出場したし、ウルグアイ人のセバスチャンやブラジル人のファビオ・セザールという攻撃的な選手も使ったとのこと。結局は、愛国心や郷土を意識する選手の潜在的なモチベーションには敵わないことを聞いた。

 Jリーグが設立される頃、僕らは地域に根差すクラブを目標とした。そして、地元出身の選手が活躍できれば、プロリーグは更に盛り上がり、強化の面でもアップするものと考えていた。国土の狭い、そして、プロの歴史が短い日本では理解しにくいことかもしれないが、他の国は異なっている。今ではそれほどではなくなってきたが、以前、イングランドでプレーするスコットランド出身選手をアングロスコットとして蔑視した時代もあった。地元、自分の国という出身地を意識しプライドにする精神は、チリの鉱山事件の例からもアイデンティの存在価値の大きさを感じる。

 アウミールと話していて、1996年のアトランタ・オリンピックのことを思い出した。僕は、浦和レッズの一員としてドイツのヴェーダウのシュポルッシューレで合宿していた。朝方、テレビのニュースで日本代表がブラジルに勝ったことを知った。僕は、翌日、駅前のキオスクに行き売店であらゆる言語の新聞を買いあさった。残念ながら、日本オリンピック代表の歴史的快挙は、どの新聞にも載っていなかった。ドイツが出場していなかったこともあるが、日本はヨーロッパでは興味の持たれない存在でしかなかったのである。

 サムライブルーの存在を世界中に知らしめることとは、アルゼンチンに勝ったくらいでは遠く、これからの実績作りにかかっていると思っている。

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「日韓戦後」

2010/10/14(木)

 

 1012日、ソウルで行われた日韓戦は、壮絶なプレッシャーの掛け合いから親善試合の域を大きく逸脱していたと感じた。両チームともヨーロッパなど国外でプレーする選手が多く、日韓戦は従来よりもレベルの高い熾烈な戦いとなったと思っている。

 増して、両チームとも新監督となって、出場する選手のモチベーションが高く、それぞれがポテンシャルのあるところを見せようと気持ちのこもったパフォーマンスを発揮し続けたからでもある。

 試合が終了する寸前、カタールのクラブでコーチをしている友人のアウミール・ドミンゲスからインターネットによるテレビ電話が入った。カタールでは、アル・ジャジーラTV局がJリーグも含めてかなりのサッカーの試合を放送しているが、残念ながら、日韓戦は見られなかったそうだ。僕は、試合の内容、レベルなどを簡潔に伝え、話題は1117日のブラジル代表対アルゼンチン代表の親善試合に移っていった。理由は簡単で、この試合はアウミールの住んでいるドーハで行われるからである。

 ブラジル代表、セレソンは試合の三日前にドーハ入りし、アウミールが所属しているアル・ガラーファのトレーニング・センターで練習を重ねて試合の準備をするとのことであった。セレソンのフィジカル・コーチ、サンパウロFCのコーチでもあるカルリーニョス・ネーヴェス(Carlinhos Neves)が幼なじみの親友であって、協力を依頼されてもいる。

 試合は、両チームの中立地、ドーハで行われるが、スタジアムは当然、満員になるとのこと。ところで、カタールにはアルゼンチン選手やコーチはいるかと思い、聞いてみた。ナショナルリーグの1部12チーム、2部8チームの20クラブが存在するが、アウミールはアルゼンチン選手のひとりは知っているが、正確ではないが他に選手も監督、コーチもいないという。では、ブラジル人はというと、監督、コーチ、マッサーなども含めたスタッフは多くのクラブに数名ずついるし、選手も各クラブに23名はいるとのこと。それに加えて、カタール国内には、バスケットボールやバレーボールなどの他の競技にもブラジル人選手、スタッフが多くいると聞いた。家族を含めると700人位の数になるのではとの推計になり、殆どのブラジル人が家族総出でセレソンの応援に駆け付けるかもしれないと予想できる。試合当日、スタジアムはブラジルのミニ・ホーム化するのではと思っている。

 日本に敗れたアルゼンチンは、セレソンとの試合結果次第では、バティスタ暫定監督の解任も揶揄されている。一方、セレソンのマーノ・メネーゼス監督は3試合無失点と攻撃的なスタイルで順調にチームを成長させている。先のイングランドのダービー市で行われたウクライナ代表戦も、2試合連続ダニエウ・アウヴェス、3試合連続のアレシャンドリ・パトのゴールで快勝している。

 1117日のドーハは、日韓戦を超えるような歴史的な世界最高のライバル対決ではあるが、中立地でありながら、ブラジルのアドバンテージを感じてしまう人は多いかもしれない。

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「オジェックのカンガルーズ」

2010/10/10(日)

  アルゼンチン代表に初勝利したザッケローニ・ジャパンが世界中を驚かしたことほどニュースバリューとして日本人にはないかもしれかいが、アジアのライバル国としてのオーストラリア代表も順調な滑り出しをしている。オーストラリア代表のニックネームは、カンガルーズ(Cangaroos)”として知られているが、新監督として就任したホルガー・オジェック(Holger Osieck)が規律を強めて代表強化を推し進めているようである。

 浦和レッズがJリーグのお荷物と称されてしまった時期に、当時の社長の厳命で立て直せる監督を交渉し契約してこいと言われ、ヨーロッパに一カ月半以上滞在した。何人かの監督候補の人物と接触したが、オジェックは自分のサッカー観に近かった。或いは、似ていたのかも知れない。彼は、ベースを作りながら、選手のメンタリティをも変えていた。結果は良くなる一方であった。

 そのようなオジェックが率いるカンガルーズは、彼が代表を率いて以来、3試合の国際親善試合で負けなしである。スイスとスコアレス・ドロー、ポーランドに21で勝ち、ザッケローニ・ジャパンがアルゼンチンに勝利した翌日、シドニーでパラグアイ代表に10で勝利を飾っている。唯一の得点は、イングランドのプレミアリーグ、ブラックプールで今季1試合しか出場していない左SBのカーニィ(David Carney)によるもの。

 ビールが大好きなオジェックにとって、地ビールに特色のあるオーストラリアはドイツと同じような土壌を感じているかもしれないと想像してしまった。しかし、サムライブルーにとっては、アジアで韓国と並び最強のライバルであると思えてならない。カンガルーズは、来月、エジプト代表との親善試合を控えているようだが、オジェック流に日本や韓国だけではなくアラブ圏のサッカーをも選手たちに体験させる意向のようにも感じた。

 本気という意味合いでは、韓国代表との試合は、どのようなシチュエーションであっても真剣勝負といっても過言ではないほど勝負にこだわる一級品であると思っている。韓国代表も、ヨーロッパで活躍している選手たちを召集している。マンチェスター・ユナイテッドのパク・チソンを始め、優れた選手が結集し日本に負けられないとホーム、ソウルで待ち受けている筈である。

 ザッケローニ・ジャパンは、アルゼンチンには勝てたが、親善試合といえども死闘を展開してきた韓国戦は特別なもの。新監督としての真価は、少しは韓国戦で明白になると思っている。しかし、もうひとつのサムライブルーのライバル、カンガルーズの新監督、オジェックはソウルでこの試合のスカウティングをするのではないかと推察する。理由は、来年のアジア・カップでの優勝を目指し、2014年、ブラジル・ワールドカップ出場をノルマとされているからである。そして、カンガルーズは、年明けの114日、アジア・カップの第二戦で韓国と対戦するからでもある。サムライブルーの選手たちの能力を信じつつも、ザッケローニ監督の采配に興味が尽きない韓国戦を楽しみにしつつ、そして、不気味な存在となった旧友を考えてしまっている。

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「国際親善試合アルゼンチン戦」

2010/10/09(土)

 アルベルト・ザッケローニ監督による新生日本代表が、次元の違う能力を示し続けているメッシやテベスを擁するアルゼンチン代表に勝った。僕も、テレビ観戦ではあったが、結果に関してはとても嬉しく感動した。僕は、試合の結果よりもサムライブルーの個々の選手のパフォーマンスに注目していたが、親交のあるジャーナリスト、賀川浩氏のコメントに同感した。香川真司は、この数か月で釜本に匹敵するような成長をしたとするコメントに接して、的を得た分析に納得させらていた。

 所詮、親善試合、増しては、アルゼンチン代表の選手たちと日本代表選手たちとのモチベーションの温度差は相当あったと思う。僕は、それを考慮しても香川真司のプレーはワールドレベルにいることになりつつあるパフォーマンスを見せたと思っている。理由は簡単であり、挑戦すると言うよりも、平常的なプレーを見せて相手とのレベルとの差を感じさせなかった点である。恣意的に思うことではあるが、世界でナンバー1と認められているメッシの本心を聞けたとすると、香川という選手の存在に驚いたと返答するかもしれないと思えると感じた。

 日本代表がアルゼンチンに勝利したことは、センセーショナルでショッキングな話題として世界中のメディアでも取り上げられた。親善試合といえども、ベストメンバーとして考えられたアルゼンチンに日本代表が勝利したことは、陸上競技で例えれば、100m9秒を切るくらいの衝撃であったかもしれない。それだけのことを、ザッケローニ新監督に率いられたサムライブルーは成し遂げた。

 しかしながら、海外の受け止め方、とりわけ、南米のそれは冷静というか冷淡なものであった。アルゼンチンでは、アルヴィセレステ(Alvicereste)、代表の緩慢なプレーと結果、そして、バティスタ暫定監督の期待できない能力を批判するものが目立っている。それにも増して、アルゼンチンのライバルであるブラジルのメディアでは、動きの少ないアルゼンチン代表を、やる気のなさと監督の無能さを強烈に批判している。ライバル国の不甲斐なさを哀しんでいるようにも感じた。

 新生日本代表はザッケローニ監督のデビュー戦を、世界中に衝撃的なニュースとして華々しく伝えることができた。ヨーロッパでプレーする日本人選手のポテンシャルは、アルゼンチン代表のメンバーと対等に闘えることは示せた。ザッケローニ監督が発言しているように、アルゼンチンに勝つことが目標ではなく、成長し2014年に成功することであると思う。経験と自信が、それぞれの選手の成長を促すに違いないと思っている。

 信じることは救われる、素晴らしいデビューを飾ったザッケローニ監督を信じて、日本代表とその選手たちが、世界との差を縮めるのではなく、世界との差を作るのであるという気持ちになって欲しいと思う。その時は、世界の強豪国として認められていると思いたいからである。

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「輝きを期待」

2010/10/08(金)

  今晩、ザッケローニ新監督のもとサムライブルー、新生日本代表がアルゼンチン代表と国際親善試合であり、しかもホームで対戦する。マスメディアが展開するザッケローニ新監督に対しては、未知数ではあるが期待を込めた評判は良い。南アフリカでのワールドカップに出場できなかった選手も何人かいて、僕は、この試合に出場するかもしれないそれらの選手のパフォーマンスも楽しみにしている。

 僕は、アルゼンチン戦を前にして、もうひとつ興味の深い親善試合を楽しみにしていた。今朝、日本時間で深夜の2時から、アラブ首長国連邦、アブダビのザイード・スポーツ・シティ・スタジアムでのブラジル代表対イラン代表が行われたからである。CBF(ブラジルサッカー連盟)などの政治的外交政策によるものなのか、何故かアブダビでの開催となった。意外にも、この対戦カードは初めてのことだと知った。試合は、ブラジルが30で楽勝した。アブダビでのキックオフは、現地時間で夜の8時。しかし、試合が終わるまで気温は35度であったほど、ヨーロッパや自国ブラジルでプレーしている選手たちにとっては消耗の激しい暑さとの闘いでもあった。

 試合後、マーノ・メネーゼス(Mano Menezes)監督は、先のアメリカ合衆国に20で代表監督デビューを飾り2試合目の親善試合を無難にこなしながら、セレソンは進化しつつあると自信を深めていて順調である。マーノは、この試合と11日にイングランドのダービー市で行うウクライナ代表戦のために、初代表の若い選手を5名召集している。そのひとりに、イラン戦で途中から初出場を果たしたジュリアーノ(Giuliano Victor de Paula)がいる。身長も172cmのMFの選手で、今年の5月に20才になったばかり。コパ・リべルタドーレスで優勝したポルト・アレグレのインテルナショナウで途中出場が多いが、多くのチャンスを作り出し得点を重ねてきてチーム貢献度の高い新進気鋭の選手である。僕は、この選手のペナルティエリアに抜けるパフォーマンスを気に入っていたので、代表デビューを楽しみにしていたのである。ジュリアーノは中央でのプレーが多いが、ボルシア・ドルトムントで鮮烈なインパクトを与え続けている香川真司選手を連想させるタイプである。

 また、FCバルセロナ所属のブラジルの右サイドバック、ダニエウ・アウヴェス(Daniel Alves)は、イラン戦のファーストゴールを決めたが、この選手はザイード・スポーツ・シティ・スタジアムでは、頗る相性が良く幸運をもたらすスタジアムとコメントしている。U20FIFAワールドカップ優勝、昨年のクラブ・ワールドカップをFCバルセロナの選手として優勝を成し遂げたスタジアムであったからである。デビューを上手く飾れる選手には、アウヴェスのような先輩選手の存在も大きいと思っている。

 今晩、メッシだけではなく、上述のジュリアーノのインテルナショナウでのチームメート、テクニシャン、ダレッサッンドロもアルゼンチン代表としてプレーすることと思う。北京オリンピックで優勝をもたらしたバティスタ監督とともに北京でのタイトルを獲得した多くの選手も、今回のアルゼンチン代表にメンバー入りしている。

 ブラジルもアルゼンチンもプライドとして、国際親善試合といえども負けてはならない宿命を抱えている。厳しい試合になることは、誰にでも解ること。強豪アルゼンチンに、ザッケローニ・ジャパンが、サムライブルーの選手たちが、どのような輝きを見せてくれるか興味は尽きない。

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「日本語の上手いブラジル人」

2010/10/04(月)

 僕が読売クラブ、ヴェルディで活動していた時に、現場の通訳として契約したブラジル人がいる。現在、関東にあるクラブのジュニアユースの監督をしているトニーニョ。川崎フロンターレやジェフユナイテッドのトップチームのコーチングスタッフとしても活動した人物である。ジョゼ・アントーニオ・ヌーネス・ダ・シウヴァ(José António Nunes da Silva)。キンジ・ジ・ピラシカーバなどでプロとしてプレーしていた選手経験を持っている。時々、連絡を取り合っているが、今回、賀川浩氏と一緒に日本サッカー殿堂入りをしたネルソン吉村氏の話題で色々なことを話し合った。

 トニーニョは、日本サッカーリーグ時代にヤンマーディーゼルに選手として来日し今日に至っている。日本人女性と結婚し、滞日年数は長い。トニーニョは、来日してからネルソン吉村氏に毎日、日本語の学習を指導されたと教えてくれた。現在では流暢な日本語を話すトニーニョは、標準語である。僕は、ふと、不思議に思いトニーニョに質問した。僕がネルソン吉村氏とポルトガル語で話した時は何も感じなかったが、日本語で会話をした時は強烈な関西弁であったからである。純粋な日本人である僕が疑問を抱く必要のないほど流暢な関西弁を、ネルソン吉村氏は喋っていた。トニーニョは、ネルソン吉村氏から学ぶ関西弁だけではなく、標準語も学び続けたという。従って、僕はトニーニョとは標準語の日本語かポルトガル語での会話となっている。

 そんな時、トニーニョから質問をされた。僕のポルトガル語について。標準語というきめつけはできないけれど、僕が話すポルトガル語は丁寧で嫌味のないことばであるという。ジノ・サニ(Dino Sani)という偉大なブラジル人監督との付き合いで、トニーニョがネルソン吉村氏から学んだように、僕は、人生、サッカー、語学、すべてをジノから学んだものと思っている。僕のポルトガル語の話し方は、サンパウロのモルンビー地区のものに近く、東京で例えれば、田園調布、関西で例えれば、芦屋といったところであるらしい。

 世界中のどの言語にも方言があることを、しばしば聞いたことがあるし体験もしている。スペイン語ではないかと感じてしまうほどのなまりを聞きながら、ブラジルのパラナ州の人々と会話をした時のことも思い出された。ドイツの北部と南部とのことばの違いを感じたこともあった。大学時代の教授からそのことを聞いていたが、実際に体験した時は納得するまでに時間はかからなかった。

 トニーニョは常にレコーダーを持っていて、新たに接する日本語を録音して語彙や表現力を増やしている。そんなトニーニョと話していて、方言や個人の話し方の癖などを感じながら監督や選手の個性を連想していた。アルベルト・ザッケローニというイタリア人初の監督のもと、新生日本代表、サムライブルーは間もなくアルゼンチン代表と戦う。メッシなど錚々たるメンバーは、個性溢れる選手たちである。両チームの監督、選手たちの魅せてくれるであろう個性を感じたいと思う。

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