「日本語の上手いブラジル人」
僕が読売クラブ、ヴェルディで活動していた時に、現場の通訳として契約したブラジル人がいる。現在、関東にあるクラブのジュニアユースの監督をしているトニーニョ。川崎フロンターレやジェフユナイテッドのトップチームのコーチングスタッフとしても活動した人物である。ジョゼ・アントーニオ・ヌーネス・ダ・シウヴァ(José António Nunes da Silva)。キンジ・ジ・ピラシカーバなどでプロとしてプレーしていた選手経験を持っている。時々、連絡を取り合っているが、今回、賀川浩氏と一緒に日本サッカー殿堂入りをしたネルソン吉村氏の話題で色々なことを話し合った。
トニーニョは、日本サッカーリーグ時代にヤンマーディーゼルに選手として来日し今日に至っている。日本人女性と結婚し、滞日年数は長い。トニーニョは、来日してからネルソン吉村氏に毎日、日本語の学習を指導されたと教えてくれた。現在では流暢な日本語を話すトニーニョは、標準語である。僕は、ふと、不思議に思いトニーニョに質問した。僕がネルソン吉村氏とポルトガル語で話した時は何も感じなかったが、日本語で会話をした時は強烈な関西弁であったからである。純粋な日本人である僕が疑問を抱く必要のないほど流暢な関西弁を、ネルソン吉村氏は喋っていた。トニーニョは、ネルソン吉村氏から学ぶ関西弁だけではなく、標準語も学び続けたという。従って、僕はトニーニョとは標準語の日本語かポルトガル語での会話となっている。
そんな時、トニーニョから質問をされた。僕のポルトガル語について。標準語というきめつけはできないけれど、僕が話すポルトガル語は丁寧で嫌味のないことばであるという。ジノ・サニ(Dino Sani)という偉大なブラジル人監督との付き合いで、トニーニョがネルソン吉村氏から学んだように、僕は、人生、サッカー、語学、すべてをジノから学んだものと思っている。僕のポルトガル語の話し方は、サンパウロのモルンビー地区のものに近く、東京で例えれば、田園調布、関西で例えれば、芦屋といったところであるらしい。
世界中のどの言語にも方言があることを、しばしば聞いたことがあるし体験もしている。スペイン語ではないかと感じてしまうほどの”なまり”を聞きながら、ブラジルのパラナ州の人々と会話をした時のことも思い出された。ドイツの北部と南部とのことばの違いを感じたこともあった。大学時代の教授からそのことを聞いていたが、実際に体験した時は納得するまでに時間はかからなかった。
トニーニョは常にレコーダーを持っていて、新たに接する日本語を録音して語彙や表現力を増やしている。そんなトニーニョと話していて、方言や個人の話し方の癖などを感じながら監督や選手の個性を連想していた。アルベルト・ザッケローニというイタリア人初の監督のもと、新生日本代表、サムライブルーは間もなくアルゼンチン代表と戦う。メッシなど錚々たるメンバーは、個性溢れる選手たちである。両チームの監督、選手たちの魅せてくれるであろう個性を感じたいと思う。
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