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2011年1月

「楽しみなアジアカップ決勝」

2011/01/27(木)

昨年の南アフリカで開催されたワールドカップで日本中が熱狂に沸いた当時に匹敵するような盛り上がりを見せて、日本代表、サムライブルーがアジアカップ決勝に進出した。連日、テレビ始めその他のメディアも、サムライブルーの取り上げ方はワールドカップ並に思える。ワールドカップに比べて、テレビ観戦することについては過酷な時差の問題はないし、大方の人々は自宅にいる時間帯であることも優位に働いているものと思う。

 ザッケローニ監督になって、サムライブルーは強豪アルゼンチン、韓国との親善試合を含めて無敗できていることもファンの気持ちをポジティブなものにしてくれている。選手たちに気持ち良くプレーさせて、尚且つ、厚い信頼を寄せてチーム作りをしている。偏った表現が許されるならば、カタールでの合宿中にアジアカップ参加と言っても過言ではないと思う。そうした中、事前に強化試合を組めなかった点や日本国内の選手にとってはこの時期の公式大会でのコンディショニングにも難しさがあるものの、ザッケローニ監督が語る成長ぶりが見えていて頼もしい。

 準決勝、日韓戦はヨーロッパのクラブでレギュラーとしてプレーする選手が両チームにいて高いレベルの試合内容であったと思う。そして、韓国に勝てたことは、とても重要である。決勝戦も同様なことが言えるが、残念ながら、負傷で離脱した香川を欠くことになっても、長友、本田、長谷部らヨーロッパ組のクォーリティの高さを見せ続けていて、とても楽しみである。

 ザッケローニ監督は、日韓戦をイタリア対ドイツの試合のようであると形容し、重厚に捉えていた。そして、決勝戦は日本対オーストラリアという戦いと、監督対決としては奇しくもイタリア対ドイツの一面もある。オーストラリア代表、サッカールーズの監督のオジェック氏もドイツ人としてイタリア人を意識しているかもしれないと感じてしまった。

 このふたりのイタリア人監督とドイツ人監督には、共通点も多いと思う。選手キャリアは、恵まれていなかった。コーチ業に、早くから携わった。理論をベースにチーム作りをし、大口を叩くことはなく慎重な発言をする。そして、選手を信頼すると常々発言し、コミュニケーションを大切にする。サッカーだけに限らないことではあるものの、リスペクトする気持ちが自然に伝わってくる。

 相違点としては、ザッケローニ氏は、イタリア・セリアAの名門クラブでの経験はあるものの代表チームを率いることが初めて。しかも、アジアのサッカーを体験し始めたばかりであること。そして、通訳を必要としていること。一方、オジェック氏は、西ドイツ代表コーチとしてワールドカップ・イタリア大会で優勝を経験し、カナダ代表を北中米でチャンピオンにしコンフェデレーション・カップまで導いている。FIFAの技師術委員長を務めたりして、分析能力も高い。しかも、選手たちとは英語でコミュニケーションが図れ、通訳は要らない。増して、浦和レッズで2度の監督経験がアジアのサッカーも、増して、日本のサッカーをも熟知している。過去の経験の差異は別として、このふたりの監督としての対決に関しても、戦術以外に、選手にどのようにモチベーションと平常心を与え能力を発揮させるのか等々興味が尽きることはない。

 日本代表は、2015年アジアカップのシード権を獲得してワールドカップ予選のスケジュールにアジアカップ予選がなくなり余裕ができた。しかし、オーストラリアも同様である。この決勝戦は、アジアNO1の座を賭けた戦いだけではなく、2014年ブラジル・ワールドカップ前年のやはりブラジルで開催されるコンフェデレーション・カップの出場権を獲得する戦いでもある。多くの人々が、決勝戦を待ち遠しく感じているに違いない。

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「ネイマラドーナ」

2011/01/19(水)

 現在、カタールでアジアカップが開催されていて、サムライブルー日本代表は予定通り、まずは準々決勝進出を決めた。監督や会長を解任し雰囲気が悪くなった上に、消化試合となってモチベーションが著しく低下したサウジアラビア代表に大勝した日本代表が本当に成長を遂げつつあるのかは、次のカタール戦で少しは明確になることもあると思う。

 ところで、ペルーでは、116日からU-20南米選手権が開幕していて興味深く感じている。CONMEBOL(コンメボル、南米サッカー連盟)加盟の10カ国のU-20代表が参加し、今年、729日から820日までコロンビアにて開催されるFIFA U-20 ワールドカップへの4カ国の出場が決定する。そして、上位2チームは、更に、2012年のロンドン・オリンピックにも出場できる権利を獲得する。参加国それぞれにとって、重要な大会である。

 南米らしく、大会形式が面白い。10チームを2つのグループに分け、5チームの一回戦総当たりのリーグ戦を行う。AB2つに分かれた各グループの上位3チームが、決勝リーグに進出する。そして、決勝リーグも、6チームの一回戦総当たりの形式である。

 1/17、三会場のひとつ、Tacna(タクナ)で行われたセレソン、ブラジル代表がパラグアイに42で勝利した試合は、歴史に残るセンセーショナルなものとなった。ブラジルは二人の選手が退場処分を受けてしまい、増して、Ney Franco(ネイ・フランコ)監督も退席処分を受けてしまった。ところが、数的な劣勢にもかかわらず、Neymar da Silva Santos Junior(ネイマール・ダ・シウヴァ・サントス・ジュニオール)が、強烈なパフォーマンスで観衆を魅了してしまった。ひとりで、4ゴールを挙げてチームを勝利に導いたのである。PKもあったが、三人のDFをあざ笑うようにボールをキープ、ゴールポストのニヤサイドに右足で、そして、左足でのループと華麗でもあり強さもある見事なゴールを決めた。

 日本人移民が成功を収め、今でも、多くの日系人が様々な分野で躍動しているサンパウロ州のMogi das Cruzes(モジ・ダス・クルーゼス)市で生まれ、来月5日で19才になるネイマールは、既に、フル代表デビューも果たしており得点も挙げている。サントスFCにいつまでいるかは、分からない。イタリアを始めヨーロッパの多くのクラブが虎視眈々と獲得を狙っているからである。

 2014年のブラジル・ワールドカップでは、主役のひとりとなるべき存在である。そのようなネイマールのセンセーショナルなパフォーマンスに、ブラジルのメディアは新しいペレと表現した。そして、ブラジルの永遠のライバル国であるアルゼンチンでは、”Olé(オレ)”Neymaradona(ネイマラドーナ)”の見出しでネイマールの活躍を讃えたのである。212日までの決勝リーグ最終節まで、目が離せなくなってきた。

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「スカートをはいたペレ」

2011/01/11(火)

 FIFA2010年バロンドール(Ballon d’Or)、年間世界最優秀選手はリオネル・メッシが選ばれ表彰された。ワールドカップの初優勝を勝ち取ったスペイン代表選手が選ばれても異論を持たないひとが多いと思われる中で、常に、メッシのスペクタクルで観る人々を感動させているパフォーマンスが2年連続の受賞となったものと思う。

 そして、女子の世界最優秀選手に選ばれたマルタ・ヴィエイラ・ダ・シウヴァ(Marta Vieira da Silva)も、メッシ同様に観る人々に驚きと感動を与え続けている。ブラジル人のマルタは24才のFW162cmで決して大柄な部類ではない。このマルタが、2006年から5年続けて世界最優秀選手賞を受賞した。しかも、今回も2位以下の候補者たちに得票数で大差をつけて選ばれた。

 マルタは、ブラジル国内では、スカートをはいたペレ”(Pelé de saia)とも女王マルタ”(Rainha Marta)とも呼ばれ、愛され親しまれている。ACミランからフラメンゴに移籍したホナウジーニョ・ガウーショを彷彿とさせるようなプレーも見せるが、メッシ同様、左利きのスピード溢れるテクニシャンで何人もの相手選手をドリブルでも抜き去ってしまう。スカートをはいたペレは、ブラジル中で女性版神様ペレとなりつつつある。得点能力の高さやトリッキーなフェイントもさることながら、とりわけ、足の裏を使うテクニック、マルセーユターンが素晴らしい。

 ヴァスコ・ダ・ガマ、サンタ・クルースでプレーした後、18才の時、スウェーデンのウメアIK(Umeå IK)に移籍、一昨年まで103試合に出場し111得点を挙げている。その後、09-10のシーズンでは、アメリカ合衆国のクラブへ移籍後、レンタルでペレがプレーしていたサントスFCに所属、14試合のみの出場で実に26ゴールを記録した。その後もゴールを挙げ続けて、代表でも53試合54得点という驚異的な決定力を示し続けている。まさに、背番号10の伝説を作り上げ、更に、神格化されていくようである。

 このようなスカートをはいたペレマルタでも、ワールドカップ、オリンピックのタイトルは獲得できていない。今年は、626日から717日まで、ドイツで女子のワールドカップが開催される。マルタは、タイトルを取るために信じられないようなパフォーマンスを見せてくれることと思う。71日から724までは、アルゼンチンでコパ・アメリカも開催される。どちらも、日本代表が出場するので興味はより深くなる。

 Jリーグがスタートする少し前、僕はブラジルに滞在していた。当時、ブラジルの女子サッカーは、Jリーグ同様、これからの時代であったと記憶している。その後、ブラジルの女子サッカーも、Jリーグの歴史と同じような歩みを見せているようにも感じてならない。アジアカップ初戦ヨルダン戦は、感心できる出来ではなかったと思う。マルタの5年連続世界最優秀選手賞受賞を知って、ブラジル女子サッカーが成長と進化を続けていることからも、サムライブルーもなでしこも、それぞれの日本代表を更にレベルアップさせる多くの選手の出現と現代表選手の成長を期待したいとも思ってしまった。

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「ゴールデンゴール」

2011/01/06(木)

 先般、ジョゼフ・ブラッターFIFA会長が、2014年ブラジル開催のワールドカップでゴールデンゴール方式を採用するかもしれないとするコメントを出した。僕個人としては、興味のあるコメントであった。

 ゴールデンゴールという呼称ではなかったが、サドンデス方式を取り入れた時期が日本サッカーリーグ時代にあった。Jリーグがスタートする少し前の1991年、第2回コニカカップである。純粋にプロのリーグを作らなければという思いから、総務主事を交えた実施委員会では熱い討議が続いていた。点が入らないから、引き分けが多いからなどなど、観客数の増大を図るためにピッチ外でのアイデアに奔走していた。僕もメンバーのひとりとして会議には常に出席していたが、ある時、サドンデス方式を試してみようということになった。

 当時、川渕三郎総務主事は、引き分けで終わった試合は、”7人制での延長戦をやったら点も入るし面白いのではと斬新なアイデアを披露した。しかし、90分を戦い終えて正規のフィールドに7人で試合をすることになれば、怪我が増え、選手寿命が縮まる恐れがあると多くの委員が考えていた。総務主事の延長戦実施による必ず勝敗を決めることについては、日本リーグ、JSLカップ、天皇杯に次いでできたコニカカップに限定するのであればと、多くのメンバーも賛同する意義はあるものと認めつつあった。そうした中、僕がサドンデス方式というものがありますがと、提案してみたところ、一同が賛同したことを思い出した。

 今でこそ大きな大会になったクラブユース大会も、実は、1978年の第1回大会には、読売サッカークラブ、神戸FC、枚方FCの3チームしか参加していなかった。そして、この大会では、この時期にサドンデス方式を取り入れていたのである。サッカーの母国イングランドでは、19世紀末に行われたことがあると知ったのは後のこと。コニカカップ実施にあたり、当時、僕は読売クラブに所属していたので、クラブユースで取り入れていたサドンデス方式というものを紹介できたに過ぎない。

 世界中のリーグ戦でこの方式を最初に取り入れたのが、Jリーグであることを最近、知った。そして、サドンデスから延長Vゴールに、更に、ゴールデンゴールと名称は変遷した。観客数の増大に成功を収めたJリーグが行っているとして、オーストラリアのAリーグでも採用した時期もあった。そして、ヨーロッパ選手権、ワールドカップでもトーナメント戦では採用されるようになっていった。

 イングランドで考案されて日本で復活し世界中に知れ渡ったゴールデンゴール方式が、サッカー王国ブラジルでのワールドカップで採用されるかもしれないと知って、歴史は繰り返されるものと感じてFIFA会長のコメントに興味を覚えてしまった。

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