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2011年2月

「第2のメッシ」

2011/02/22(火)

 先日、終了したロンドン・オリンピック予選も兼ねたU-20南米選手権、素晴らしい将来を感じさせる十代の選手たちの出現が目立った。アルゼンチンはオリンピックへの出場権は逸したものの、今夏、コロンビアで行われるU-20 FIFAワールドカップへの出場は確定している。 そのアルゼンチンに、2のメッシと呼ばれる選手が出現した。

 フォアン・イトゥルベ(Juan Manuel Iturbe Arévalos)199364日、ブエノスアイレス生まれの17才のフォワード、中盤どちらもこなす選手である。メッシと体格も似通っていて、プレースタイルも似ていてスピード溢れるドリブルだけではなく、11にも強く、常に相手選手より速くボールに触れることのできる得点能力溢れる選手である。

 パラグアイ人の両親がブエノスアイレスで生活している時に生まれているので、パラグアイとアルゼンチンの二重国籍を保持している。16才でパラグアイリーグにデビューをすると、レアル・マドリード、ローマ、マンチェスター・ユナイテッドなどなど、ヨーロッパの名門クラブからのオファーが殺到した。李忠成選手が年代別の韓国代表に召集されたことと同様、イトゥルベもパラグアイのフル代表を含めて召集されたが、昨年のワールドカップ開幕前にアルゼンチンU-20代表を選択した。そして、南アフリカには、バックアップ・メンバーとしてアルゼンチン代表の練習に参加していたのである。

 今般、U-20南米選手権はブラジルが圧倒的な強さを発揮して優勝した。得点王は、ネイマラドーナことネイマール9得点でその地位を獲得した。ブラジルU-20代表は、優勝するまでに9試合を戦い、負けた試合はファイナル・リーグでの1試合のみであった。その負けた相手が、アルゼンチンU-20代表であった。試合は、イトゥルベがブラジルDF陣をスピードに乗ったドリブルで交しながら左足での研ぎ澄まされたゴールを挙げて、これが決勝ゴールとなった。

 イトゥルベは以前から、”el nuevo Messi”(エル・ヌエヴォ・メッシ、新しいメッシ)ないしは”Messi Guarani”(グアラニーのメッシ)のニックネームで良く知られていた。パラグアイは、先住民族のインディオとスペイン人の混血であるメスティーソが人口の9割を超える構成であるとのこと。スペイン語とグアラニー語が公用語であるが、グアラニー語を理解する人は人口の94%を超え、スペイン語の理解者の75%よりも多いという。そうした理由、背景から、実際はパラグアイ人であるイトゥルベは、グアラニーのメッシ、即ち、パラグアイのメッシと呼ばれるようになった。

 イトゥルベは、先のコパ・リべルタドーレスの一次リーグでパラグアイのセロ・ポルテーニョ(Cerro Porteño)の一員としてプレー、チリのコロコロ戦で2ゴールを挙げて更に注目を浴びている。既に、今夏、ポルトガルのFCポルトへの移籍が決まっているが、先ずは、32日のリべルタドーレスでは、サントスFCのネイマラドーナ対エル・ヌエヴォ・メッシの2度目の対決も楽しみである。そして、コロンビアでのU-20 FIFAワールドカップ、場合によってはアルゼンチン開催のコパ・アメリカでも、そして、近い将来、ヨーロッパでのふたりの対戦も続いていくことを想像しても面白いと思う。そして、彼らの世代の日本人選手たちが、対等に戦う試合を是非とも観たいとも思ってしまう。

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「ロンドン・オリンピックへの切符」

2011/02/15(火)

 ペルーで開催されていたU-20の南米選手権が終了した。ロンドン・オリンピックへの出場枠は、ふたつ。既に、ウルグアイが84年振りの出場権を獲得していたが、決勝リーグ最終節でブラジルがウルグアイを60の大勝で大会優勝を決めた。そして、ロンドンへの切符を勝ち取った。

ブラジルU-20代表は、これで11回目の南米選手権を制覇した。ウルグアイの7回、アルゼンチンの4回、コロンビアの2回を凌ぐ圧倒的なタイトル獲得数を実現した。因みに、今夏、コロンビアで開催されるU-20FIFAワールドカップへの出場権は、ブラジル、ウルグアイとともにアルゼンチンとエクアドルに決定している。

 大会得点王は、アルゼンチン紙に命名されたネイマラドーナことネイマール9得点。得点ランキング2位の選手たちのゴール数が4であることから、その爆発的な得点能力は周囲を驚かせている。得点ランキング2位につけた選手のひとりに、サンパウロFC所属のルーカス(Lucas Rodrigues Moura da Silva)がいる。ルーカスは、優勝を決めたウルグアイ戦でハットトリックの活躍を見せた。

 ブラジル国内のメディアでは、ネイマールとルーカスのコンビをペレとトスタンやホマーリオとベベット或いはホナウドとホナウジーニョ・ガウーショのようとの比較をし、今後の素晴らしいコンビの出現と期待する報道まで続出した。

 ネイマールは今大会2得点を挙げた右サイドバックのダニーロ(Danilo Luiz da Silva)とともにサントスFCに戻り、すぐさま、サンパウロ州選手権(Campeonato Paulista)とコパ・リべルタドーレスに出場する。大会中はチームメートであったルーカス、カセミーロ(Casemiro:Carlos Henrique Casimiro)、ウィリアン(Willian José)らのサンパウロFCとの対戦で今後のフル代表入りを目指して戦うことになり大変興味深いものがある。

そのネイマールが、怪物ホナウドのコリンチャンスを最後のチームとして引退したことを哀しがっている。ネイマールは、既にヨーロッパのビッグクラブからのオファーが後を絶たない状況にあり、ホナウド同様に成功するために、世界の耳目を集めることは疑いのないものであると感じている筈である。

ホナウドがクルゼイロから国外へ初めて移籍したクラブが、オランダのPSVアイントホーヘン。毎試合ゴールする勢いで得点王に輝く時代、僕もスタジアムで直接目の当たりにしてその凄さを鮮明に記憶している。その後、バルセロナなど名門クラブでスター街道を歩んだことは周知のことである。

 そのオランダのフェイエノールトで、高校生の宮市亮がブレークし始めた。ホナウドのようにオランダで経験を積み、早い時期にアーセナルに戻り活躍する姿を多くの人々が期待していることと思う。ところで、僕の友人のひとりにサンドロ・オルランデッリ(Sandro Orlandelli)がいる。サンパウロ市在住のアーセナルの中南米担当のスカウトである。家にいることは殆どなく、才能ある若い選手を追い求め続けている。何人かの選手のアーセナル入りに貢献し、アーセン・ベンゲルの信頼を深く受けている。そのサンドロが語ってくれた言葉を思い出している。ベンゲルは、才能溢れる選手でもピッチ外の言動や姿勢に優れていなければ採らないと語っているとのことを。宮市亮は、ベンゲルに心技体すべてに合格点をもらった筈であると僕は思っている。ネイマールや宮市亮のような10代の選手たちの活躍に接すると、ロンドン・オリンピックの楽しみが増大する一方なのは僕だけではないと感じている。

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「楽しみは続く」

2011/02/04(金)

 アジアカップは、日本が4度目のタイトルを獲得したことによって最多優勝回数国となる素晴らしい結果を残した。退場者が出たり先制されたりもしたが、控えの選手たちの代表チームの一員としてのモチベーションも高く、ドラマチックに成長していることを感じさせられた。

 日本、オーストラリア、韓国は、海外組の選手が多く、あたかもそれぞれの国々のヨーロッパ選抜といった感もある程、各国のクラブでレギュラーを勝ち取っている選手たちのレベルは高かったと思う。日本の試合内容を観ていて、これからが本当の意味での成長段階をいくつもの真剣勝負である公式戦を経験していくことによって、更なるレベルアップを図っていって欲しいと思った。

 アジアカップはヨーロッパでもテレビ中継されていて、ヨーロッパの人々にも日本代表に対する印象が深く刻まれ、評価も極めて高くなったと聞いている。決勝戦、日本対オーストラリアをテレビ観戦していたブラジル人の友人も、日本の成長ぶりに驚くとともに称賛していた。それは、FIFAランキングが17位までに上昇したことからも客観的に窺い知ることにもなった。

 試合が終了した時のテレビの画面に懐かしいオジェック監督が映し出されていたが、同監督は素直に日本が優勝にふさわしいチームであることを認めたような柔和な表情をしていたように僕には思われた。監督の立場としては、選手に対しても、オーストラリア・サッカー連盟の関係者、サポーターに対しても率直に負けた悔しさを語っていたが、僕には日本代表をリスペクトしていることを示しているように感じてしまった。

 アジアカップに優勝して、日本代表は2014年ワールドカップに向けて最高の準備ができるチャンスを勝ち取れた。ワールドカップ予選に少なからず影響を及ぼすかもしれない2015年のアジアカップについては予選を免除されたが、それ以上に、2013年のコンフェデレーションズカップへの出場権を勝ち取れたことが大きい。ワールドカップに出場することは絶対的なノルマであるが、コンフェデレーションズカップでワールドカップと同様なハイレベルなそれぞれの大陸チャンピオン国とブラジルにて公式戦で戦えることは大きなメリットである。ブラジル、スペイン、日本のみが出場決定の現時点ではあるが、これからヨーロッパや南米のチャンピオン国が更に加わるのであるから興味は深まる一方である。

 Jリーグがスタートした前年、1992年、完全にプロ化された日本サッカー界にあって、僕はヴェルディでナビスコカップの優勝を味わえた。同年、日本代表は、初めてアジアカップを制覇した。その後、20年足らずにして、4回のタイトルを取れたことになった。Jリーグの存在は極めて大きいと同時に、多くの選手たちがヨーロッパで活躍できるようになり更なるレベルアップが期待できることも大きい。

 昨今、僕の周りの人々から、ワールドカップもそうだけれど、コンフェデレーションズカップにも行きたい。一緒に行って面倒をみてよという要望を聞く機会が増えてきた。楽しみが続くと感じていたところ、アジアカップで最高のパフォーマンスを見せていたと思っている長友佑都選手が、現在、クラブ世界一のInternazionale Milano(インテル・ミラノ)に移籍した。長友選手の移籍がより大きな刺激となって、代表チームばかりではなく、ヨーロッパでプレーする選手たちのプレーぶりにも一層注目する楽しさが続くものと感じているひとが増大しているに違いないと思う。

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