« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »

2011年4月

「驚かされるクラブの出現」

2011/04/22(金)

 東日本大震災により中断されていたJリーグが、再開する。JFLも同時に開幕し、なでしこリーグも近く開幕する。漸く、日常生活の中にトップリーグが戻ってくることになった。日本が復興するためには、様々な分野で活性化しなければならないと思っている。そのためには、サッカー界でも今まで以上に多くの人々がスタジアムに詰めかけて盛り上げてくれたらと思う。

 420日、日本時間では翌朝になるが、興味深いカップ戦に心踊らされた。ひとつは、スペイン、ヴァレンシアで行われたCopa del Rey(コパ・デル・レイ)決勝。レアル・マドリーがメッシへのタイトなマークとディフェンシブな戦術で、華麗なポゼッション・サッカーを展開している宿敵、バルセロナに辛勝してタイトルを取った試合。勝つためのモウリィーニョ戦術が功を奏した訳であるが、結果とは、勝ったチームが強いことを証明するものであることを認識せざるを得ないものであった。敗者となってしまったバルセロナのグァルディオラ監督も、レアル・マドリーの強さを認め、潔い。直ちに、CLで再び対戦するスペインのこのクラシコからは目が離せない。

 スペインでのこの試合後から3時間程遅れて、リオデジャネイロでは、Copa do Brasil(コパ・ド・ブラジル)のベスト16の試合が行われた。ホーム・アンド・アウェイで行われる第一戦、フラメンゴ対Horizonte(オリゾンチ) FC。僕が興味を抱いたのは、オリゾンチFCであった。理由は、極めて簡単である。初めて、このコパに参加している新興チームであるからである。対戦相手のフラメンゴのスーパーアイドルであったジーコが、自身のトレーニング・センターを無料で相手チームの練習のために提供したことから関心が深まった。

 オリゾンチFCは、ブラジル東部の小さな州、セアラー(Ceará)の人口が僅かに55,000人程のオリゾンチ市にある。1933年に創立されたクラブは、長年、アマチュアとして活動してきた。2004年になって、自治体とスポンサーがバックアップしプロ化された新興クラブとして再出発した。同年、10,500人収容のスタジアムも建設され、驚異的なスピードで台頭してきたのである。

 コパ・ド・ブラジルは、ブラジル国内の27の州から64チームが参加する大会である。前年の優勝チームはコパ・リべルタドーレスの出場権を得るので、翌年は参加できない。また、リべルタドーレスに出場しているチームも参加しないレギュレーションとなっている。CBF(ブラジル・サッカー連盟)のランキング上位10チームに加えて、各州のリーグないしはカップの覇者などが参加資格を得るカップ戦である。

 オリゾンチFCは、アウェイで強豪、フラメンゴに11の引き分けを演じてセンセーショナルな好結果を産みだした。アウェイでの得点は、ホームでのアドバンテージをもたらした。プロのクラブとして創立されて、未だ7年目にして快進撃を重ねている。日本に日常的にサッカーが戻る今週、オリゾンチFCは来週水曜日にホームでフラメンゴを迎える。地平線の意味を持つオリゾンチ市は、熱く盛り上がっている。日本国内のサッカーも同様に盛り上がり、復興の一助になれば良いと思わずにはいられない。

固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


「チャリティーマッチ」

2011/04/02(土)

 東日本を襲った大震災、そして、福島の原発事故も含めて被災された方々への支援と激励のためのチャリティーマッチを観戦した。327日と29日。日本代表とJリーグ選抜の試合は諸事情によりテレビ観戦となってしまったが、ガンバ大阪とヴィッセル神戸の試合は万博競技場に足を運ぶことができた。試合内容の云々は語ったとしても仕方がないと感じてしまう雰囲気の中で、試合は行われた。日本全国ならずして、世界中に重苦しい気持ちを抱かせてしまっている大惨事であるからのチャリティーマッチであるからと思っている。

 しかしながら、万博や長居に集まって観戦した人々を見るにつけ、何かをしなければという思いとサッカーにより一時でも生きているということを実感したいと思いたい人々が独特の雰囲気を作っていたように思えてならない。贔屓のチームの勝利に拘ることなく、目の前でサッカーの試合を観られ、そして、少しでも被災者の方々に対して義援できないかという思いがあったからである。

 万博の試合に、僕はリスペクトしている友人と出かけた。株式会社JOTCのセンター長である渡久地広一氏。職業訓練や社員研修に人生を賭けている人物であるが、僕も講師のひとりとしてお世話になっている。同氏は、ボランティア活動を日常的に継続していて、大学時代にはプロ野球で活躍した人物たちとキャッチャーとして活躍していた。キャッチャーというポジションからの経験や視野の広さ、深さ、そのような視点が実に面白く感じている。同氏のモットーは、アート、ミュージック、そして、スポーツが人類にとって大切な3要素であると信じている。共感できると思っている。今般の大震災についても、今後の日本を支える子供たちへの協力をしなければならないと力説している。

 一方、僕の友人で関西クラブユースサッカー連盟理事長の宮川淑人氏から、次のような活動を始めたので協力して欲しいとの連絡を受けた。日本代表やJリーグクラブ、そのような存在と活動は多くの人々の耳目を集められる。しかし、被災にあった地域では、グランドもスパイクもウェアーもなくしてしまい、サッカーができなくなっている子供たちがたくさんいることを憂いている。被災地から避難してくる子供たちにサッカーを続けられる場所、環境を提供したいと、同氏は活動を始めた。末端の状況は、世間からは知られずメディアでも報道され難い。同氏は、国家的に大規模ではなくても、草の根的な活動でもサッカー少年、少女に未来を明るいものにしたいと思ったそうである。

サロン2002
受入れクラブ一覧
連絡先 hfc1969@hotmail.co.jp

 僕は、ブラジルで、とても感動的な事業を聞いたことがあることを思い出している。貧民屈で生活する人々は国民総人口の85%程であり、そこにいる子供たちは大好きなサッカーができない。しかし、ブラジル政府とブラジル・サッカー連盟が協力して、恵まれない環境下にある子供たちにサッカーができる施策をしてきたことを知った。最近、ローマと解約してコリンチャンスと契約した元ブラジル代表のアドリアーノも、リオデジャネイロの貧民屈の出身者である。未来のカズ、長友、香川などを未曾有の大震災で失ってはいけないと思わずにはいられない。将来の日本サッカーを担うであろう子供たちに、サッカーを続けて欲しいと思う。

固定リンク | コメント (2) | トラックバック (0)


« 2011年3月 | トップページ | 2011年5月 »