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2011年5月

「興味津々」

2011/05/24(火)

 ブラジルでは、27ある各州のリーグ戦が終了し、20日からCampeonato Brasileiro(ブラジル全国選手権)が始まった。友人のジョゼ・オスカー・ベルナルディのトレーニングセンターでは、サンカエターノバイーアが合宿をしていた。バイーアは、1998年のフランス・ワールドカップで日本代表が戦った時のジャマイカを率いていたレネ・シモンエスが監督をしている。オスカーから、面白い話を聞けた。

 

 一方、ボタフォゴのコーチをしているアウミール・ドミンゲスからも連絡を貰った。自分も付き合いのあるウルグアイ代表のキャプテンであった、オスカーとサンパウロFCCBとして活躍したダリオ・ペレイラが勤務している、サンパウロ市近郊にあるバルエリ市にあるDeportivo Brasil Trafficが経営しているトレーニングセンターでパルメイラス戦の調整をしているとのことであった。

 プロのシェフが用意してくれる体調に良い料理はもとより、清潔な宿泊施設と5面から10面はある素晴らしく管理された天然芝のピッチで準備に余念がないことは自然に感じられた。

 このような話をブラジル人たちの友人から聞いていた頃、Football Japanの社長である本多克己氏とランチを取る機会があった。その時に、極めて興味深く、面白い話を聞くことができた。1979年に、日本は、ワールドユースを開催した。現在のFIFA U-20ワールドカップである。ディエゴ・マラドーナやラモン・ディアスが活躍し、アルゼンチンが優勝したことで知られている。

 実は、この時、パラグアイ代表が注目を浴びていた。中心選手は、Juan Cesar Romero(ホアン・セザール・ロメロ)。後に、ブラジルのフルミネンセで大活躍し、Romerito(ホメリート)のニックネームでブラジル人からもリスペクトされた中盤の選手である。この大会の期間中に、自分は思いがけない連絡を貰ったことを思い出していた。神戸にあるチリ・レストランのダゴベルト氏から間接的に連絡を貰ったのであるが、ロメロ自身が日本でプレーしたいというものであって、当時、自分が勤務していた読売サッカークラブと契約できないかというものであった。希望の年俸は高いものではなかったが、プロのない時代の日本では実現することはあり得なかった。

 ロメロの能力は非凡なものであったから、今でも記憶に残っている。前述の本多氏から、思いも掛けない話を聞いた。当時、練習ができる施設は粗末であった日本で、パラグアイ代表は六甲中学で練習をしたとのことである。練習後のグランドで、トイレの水をシャワー代わりに使っていたことを聞いた。ところが、本多氏にとっては、一生、忘れられない出来事を経験したとのこと。選手の人数に限りあるパラグアイ代表の監督が、六甲中学のサッカー部員を練習に参加させたということであった。

 時に、予想もできないチャンスというものがあるものである。とても興味深いこととして、楽しく話を聞くことができた時間を持てた。昨今、色々な人々とブラジルのコンフェデレーションズ・カップとワールドカップに行こうと話が盛り上がり始めた。ブラジルの友人たちは協力してくれると約束してくれているので、通常ではあり得ない機会を提供してみたいと思うようになった。

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「更に、ワールドカップへ向けて」

2011/05/09(月)

 ゴールデンウィーク期間中、僕もサッカーを堪能できた。実際にスタジアムへ足を運ぶことは少なかったが、世界中の試合をテレビで観戦できたりして豊富な試合結果を知ることで時は瞬く間に過ぎ去った感がある。

 前回、紹介した新興チーム、Horizonte(オリゾンチ) FCは、コパ・ド・ブラジルの初戦、アウェイでフラメンゴと引き分けたものの、ホームでは03で力の差を見せつけられてしまった。しかし、今月の20日から始まるCampeonato Brasileiro(カンペオナート・ブラジレイロ、全国リーグ)セリアDに登場することが決定していて、また、旋風を巻き起こすかもしれない。そのHorizonte FCには、もうひとつ注目を集めることが起こっている。セリアDは、4部リーグに相当するが、フォワードの弱冠20歳のSiloé Marciel Pereira(シロエー・マルシィエウ・ペレイラ)がセリエAにデビューする可能性が出てきたのである。対戦チームのフラメンゴが、得点を挙げられたシロエー獲得に乗り出しているからである。ビッグクラブへの移籍実現が、また、ひとり、若い選手の将来を輝くものにするかもしれないからである。ブラジル選手権は、色々な意味もあって開幕が待ち遠しい。

 一方、Copa Libertadores(コパ・リべルタドーレス)は、いよいよ準々決勝を迎え、622日にはチャンピオンチームが決定する。しかし、6チームが参加していたブラジル勢はラウンド16で殆どが姿を消してしまい、ネイマールやガンソを擁するサントスFCのみしか勝ち残れていない。アルゼンチンも同様で、5チームの内、ヴェレス・サルスフィエルドのみであり、両国の不振ぶりが取りざたされている。インテルナショナウなどは、スポンサーから支援を減額されてしまう程であった。

 ところが、パラグアイ勢が素晴らしい結果を残しつつある。3チーム出場の中から、イトゥルベの所属するCerro Porteño(セロ・ポルティーニョ)Libertad(リべルタ)2チームが勝ち残っている。パラグアイから日本に帰化した僕の友人は、ブラジル、アルゼンチンに次ぐ強豪国になったと鼻を高くしている。

 ところで、先日、ある出逢いから、講話会を開いてみないかと誘われて実現した。「セニョール佐藤の朝山小劇場」というタイトルで、四季楽彩 朝山”(078-412-1101)という和食の美味しい料理屋さんとのコラボレーションである。ご主人の朝山雄史(たけし)氏が北陽高校サッカー部の出身で、ご夫人の恭于子(きょうこ)さんと月に一度位のペースでとの依頼を受け、今後も、継続していくことになった。ジャーナリストの賀川浩氏始めサッカーに関係する人々や、海外のことを知りたいと思われている人々と楽しい時を過ごせた。

 翌日、Jリーグ、ヴィッセル神戸と川崎フロンターレをスタジアムで観戦したが、寂しさを感じてしまった。観客数の少なさに、ガッカリしてまった。東日本大震災の影響もあるとは感じたが、より多くの人々にサッカーとの距離をより近付け、日常的なものとして捉えて欲しいと感じている。

 その後、興味あるニュースに接することができた。ブラジル・ワールドカップ組織委員会がFIFAとともに、2014年の各代表チーム用の公認キャンプ地候補を公表したのである。ブラジル国内の93の都市から、145会場。パルメイラスやサントスFCなどのトレーニング・センターなども含まれているが、僕の親しい友人であるJosé Oscar Bernardi(ジョゼ・オスカー・ベルナルディ)氏が所有するBrasilis(ブラジリス) FCの芝生5面のトレーニング・センターと宿泊施設としてOscar Innも公認されたのである。

 年内に、145会場が厳選されて64会場に絞られることになっている。講話会に参加してくれた人々も、その他の知り合いや友人もブラジルに行きワールドカップとブラジルという国を直に経験したいと要望している。オスカーともしばしば会話をしているが、友人のクラブがキャンプ地として、どこかの代表チームを受け入れられたらと思うと、楽しみが更にひとつ加わった。

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