「半世紀近く、四半世紀近く」
先月末のUEFAチャンピオンリーグ決勝でのFCバルセロナの異次元と称しても過言ではない鮮烈な優勝シーンが記憶に新しい中、僕は、今週、行われたコパ・リべルタドーレスの準決勝セカンドレグに注目していた。今冬、日本で開催されるクラブ・ワールドカップ出場チームに興味が大きかったからである。
来日できるチームは、ブラジルのサントスFCかウルグァイのペニャロールのどちらかに決定した。サントスFCは、過去、コパ・リべルタドーレスに2度の優勝を飾ったことがあるものの、1963年のタイトル獲得以来、半世紀近く、南米チャンピオンになっていない。一方、ペニャロールも、5度のタイトルを獲得していながら、1987年以来、四半世紀近くも頂点に立てていない。
コパ・リべルタドーレスが1960年から開催され始めて、ペニャロールは優勝ないしファイナリストの常連であった。そのペニャロールを破って、サントスFCが初タイトルを獲った年が、1962年。従って、両チームの決勝戦も半世紀近くということになる。
当時、サントスFCは、世界最強チームと評価されていた。ペレ、ペペ、コウティーニョなどの攻撃陣は、現在のFCバルセロナと比較しても優劣が付けがたいほどの破壊力であった。残念ながら、僕の年齢ではその当時ことを歴史としてしか知る由はないのであるが。
ペレと何度か会った時に、聞けばよかったと、今思う。しかし、読売クラブ時代、ペペが監督となって一緒に仕事をしていた時には、ペレとの絶妙なコンビネーションの話は多々、聞くことができた。それ以前、僕の父親的存在ですべてに啓蒙を受けたジノ・サニからも、この時代の話は多少、聞くことができていた。ジノ・サニは、”マエストロ”と称されてACミランの伝説にもなっている選手であったが、現在のクラブ・ワールドカップ、以前のトヨタ・カップの前身であるインターコンチネンタル・カップでペレを代表とするサントスFCと対戦している。ペレは世界最高のセンターフォワードとして、ジノ・サニは世界最高のボランチとして、ブラジルとイタリアの当事者国のみならず世界中にその存在を示した。
今、ブラジルでは、サントスFCのTri Campeão(三回目の優勝)を期待する声が大きい。1912年に創立されたクラブは、来年の100周年を祝うために世界一になるべく使命を追求している。ブラジル代表としてコパ・アメリカにエントリーされたネイマールは、サンパウロFCのルーカスとともにコロンビアでのU-20ワールドカップには出場しない。ヨーロッパのビッグクラブからの誘いが日常的な選手であるが、今、クラブと代表の双方で、南米チャンピオンの座を狙っている。
サントスFCの目標は、クラブ・ワールドカップ決勝でFCバルセロナに勝利することにある。現在、サントスFCの監督として目標達成を目指しているMuricy Ramalho(ムルシー・ハマーリョ)は、同監督がサンパウロFCの監督時代、しばしば会った人物である。サンパウロFC時代、トヨタ・カップを制した。東京が懐かしいと、柔和な笑顔で語っていた顔が思い出される。メッシ、シャビ、イニエスタなどに対抗できる有能な選手を抱えている策士は、南米の先にある日本でのもう一度の世界一を視野に入れ始めた。
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